December 28,2007

14.日本四象 一住(補2)

補:公団住宅與日本住宅史
廣義的一戶建民家(可能是農家居多),就如字典解釋一般,是指一個家族所居住的獨門獨戶的民房。而狹義地指一戶建,也就是戰後其實是在60年代後期,但一戶建並非戰後才有,而是戰後因人口增加成長的需求才大量建造。
我也列一下1955年發足的公団住宅,(漢字較多我就沒有特別翻譯)和日本住宅史(對不起!因為不會使用分色,所以一行一行翻譯,可能不怎麼容易閱讀)以供參考!

另外有關、寢殿造、書院造、武家造、等專業名詞部分,沒特別介紹,以後如有機會或需要在作單項介紹。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BD%8F%E5%AE%85

「公団住宅」(こうだんじゅうたく)は、1955年に発足した日本住宅公団(1981年に住宅・都市整備公団、1999年に都市基盤整備公団、2004年に都市再生機構へ改組)が供給した住宅のうち、主に賃貸タイプの集合住宅のことをいう。公団が供給する住宅には、賃貸タイプ(集合住宅)と分譲タイプ(一戸建て・集合住宅)があった。

賃貸のものを旧公団住宅(現在のUR賃貸住宅)と呼ぶ。
集合住宅(賃貸・分譲)を総称して旧公団住宅と呼ぶ場合もある。
日本住宅公団は1955年に設立された。当時は高度経済成長期を前にした時代で、都市への人口流入が進み、住宅の絶対数が不足していた。そこで、中堅所得 者向けに都市近郊で良質な住宅を供給するため公団が設立され、1960年代の高度成長期には東京や大阪近郊でほぼ画一化された多数の団地(大規模ニュータ ウン、分譲及び賃貸住宅)が建設された。しかし市場原理を無視して分譲住宅の建設を続けたため、1990年代には大量の売れ残りがあることが問題になっ た。

公団住宅はDK・LDKなどの間取りやシステムキッチンを普及させ、高度成長期の庶民にとって憧れの生活空間を提供し、民間の住宅建設のモデル になった。一方、画一的な住宅建設が個性のない街並みを生み出し、日本人の住環境を型にはめてしまった側面もある。また、特に大量供給期のものは今日から 見て設備的に不十分な点が多く、リニューアルも困難で、老朽化した住宅の取扱いが課題になっている。

日本住宅史

日本の住宅は近年までほとんどが木造で、畳のある部屋(和室)が中心であっ たが、第二次世界大戦後の急速な生活スタイルの変化により、現在は鉄筋コン クリート造の住宅(戸建て、集合住宅)も多くなり、和室を造らない場合も多 くなってきている。

(日本的住宅近年以來幾乎都是用木造有榻榻米的房間(和室)為主
第二次世界大戦後由於生活型態急速變化現在鋼筋混凝土
造的住宅(一戶建集合住宅)也變多了不建和室的場合也增加。)

原始・古代(竪穴住居、高床式住居)
平安時代には貴族の住まいとして寝殿造が成立した。庶民の住居は相変わらず 竪穴住居が主流であった。 鎌倉時代の武士の住まいは武家造と呼ばれることもあるが、今日では寝殿造を 簡略化したものと考えられている。

(平安時代貴族的住宅以寝殿造建立。庶民的住居則是不變地 竪穴住居是主流。鎌倉時代武士的住居有的稱為武家造、在今日可以把它 認為是寝殿造簡略化的建築。)

今日の和風住宅の原型が成立したのは室町時代である。足利義満の邸宅はまだ 寝殿造の面影を留めていたが、いわゆる東山文化の時代、応仁の乱前後の足利義政の邸宅になると、初期の書院造と呼ばれるものになる。畳を敷き詰め、障 子戸を用い、床の間などの座敷飾りが造られるようになった。
中世の絵巻物などに見る庶民の町屋はまだ非常に簡素なものが多かった。

(今日的和風住宅的原型成立於室町時代。足利義満的宅邸還
留有寢殿造的影子、也就是東山文化的時代、応仁之乱前後的足利義政
的宅邸、被稱為初期的書院造。舖滿著榻榻米、設有紙窗、地板上有座桌裝飾的建造。 中世絵畫所見的庶民的町屋、還非常簡素的東西居多。)

織田信長による天下統一は、住宅史上も画期になったと考えられる。信長の安土城や、秀吉の大坂城などにおいて身分の序列を著し権力者の威厳を示すため、書院造が完成した。家臣は城下町に住むよう命じられ、狩野永徳の洛中洛外図屏風などから、都市建築(町屋、武家屋敷など)も発達してきたことが伺える。
上層の住まいとして書院造が定着し、江戸時代以降、茶室の要素を採り入れた いわゆる数寄屋造りの住宅も造られるようになった。

(織田信長天下統一後、住宅史上也有画時代的變化。信長的
安土城、豐臣秀吉的大坂城等明確的以身分序列、是為了顯示権力者的威厳 完成了書院造。命令家臣住到城下町去、從狩野永徳的洛中洛外圖
屏風等、可看出都市建築(町屋、武家屋敷等)也已很発達了。
上層階級所住的幾乎是書院造、江戸時代以後、採用了茶室的要素
也就是建造所謂的數奇屋造的住宅。)

江戸時代に入ると、庶民の住宅も次第に発達していった。大まかに言えば、関 西の住宅の方が質が高く、次第に関東にも広まっていった。近世初期、関 東で一般的な農民の住まいは、土間に囲炉裏を作り、床にむしろなどを敷くよう なものも多かった。工法も掘立柱を立て、茅で屋根や壁を葺くものであった。
農家も次第に発展し、土間を台所や作業場などに使い、床を造り食事や就寝のための部屋が造られていった。工法も礎石の上に柱を据え、梁を複雑に組 み 合わせて造るように変わり、高い技能を持った職人が建設するものになった。ただし、土壁や茅葺屋根は家族や集落の仲間と共同で造ることも多かった。

(進入到江戸時代、庶民的住宅逐漸発達。大致說來、
関西的住宅品質較高、逐漸向関東推廣。近世初期、
在関東一般的農民的住居、在土間(沒舖地板的地方)作囲炉裏(火爐)、在地板上
多是舖以草蓆。工法也是挖立柱子、用茅草蓋屋頂牆壁塗上芒草加土。
農家逐漸発展、用土間作為廚房和作業場等使用、地板作為飲食或就寝的
房間使用。工法也在基礎石上立柱子、梁棟也變得複雑地
搭建組合、是由擁有高度技能的工人建設而成的房子。
但土壁茅葺屋頂、多是由家族或村子的朋友共同建造的。)

江戸時代後期以降、「田の字型」の間取りが広く普及していった。この間取りは結婚、葬儀など人が集まる行事に使うことを意識したもので、用途に合わせてふすま を開け閉めして用いた。今日、伝統的な民家として民家園などに保存されているものは、「田の字型」のタイプが多い。
江戸時代には贅沢を諌めるため、床の間や瓦葺屋根などは制限されていた。武 士の住まいでは、式台、床の間が許され、農家でも名主クラスだと床の間が許 される、といったように身分による統制が行われていた。

(江戸時代後期以後、「田字型」房間建法廣為普及。這種房間建法
是配合意識到有結婚、葬儀等聚集人群行事時使用的用途考慮
用紙門隔開隔間使用。今日以傳統民家保存的民家園
多是以田字型隔間的型態。
江戸時代為了勸戒奢侈、限制了地板房間瓦葺屋頂等。
武士的住居允許、式台、地板房間、在農家有名地主等也被允許有地板房間
如以上這般施行依身分統治管理。)

明治時代になると建築に関する封建的な規制もなくなり、資力に応じて住宅を 造るようになった。西洋建築の技術にも刺激され、大工道具の質も上がり、職人の交流も活発になったことなどで、建築の質は全体に向上していった。明治 時代に洋風の住宅(西洋館)に住むのは、政治家、実業家などごく限られた階層の一部の者であり、ほとんどは和風住宅であった。

(明治時代以後有關建築已沒有封建的規制、依資金力而
建造住宅。也被西洋建築技術的刺激、木匠道具品質也提升了
技術人員的交流也變得活躍等因素、使整個建築的質向上提升。
明治時代的洋風住宅(西洋館)所住的以、政治家、実業家
等階層的一部分為限、其他幾乎是和風住宅。)

大正時代以降、サラリーマン、都市知識人らが洋風の生活に憧れ、一部洋風を 採り入れた和洋折衷の文化住宅が都市郊外に多く造られた。しかし、家の中で は靴を脱ぎ、畳でくつろぐといった生活スタイル自体はほとんど変わらなかっ た。

(大正時代以後、上班族、都市知識人們憧憬洋風生活、採取一部洋風的
和洋折衷的文化住宅很多建造在都市郊外。但是、在家中
脫鞋、在榻榻米上暢快地生活型態幾乎沒有改變。)

第二次世界大戦後、住宅難の中で公団住宅など、大量供給型の住宅が造られ
た。ダイニング・キッチンなどが新たに工夫された。
かつては床の間のない家はほとんど考えられなかったが、今日では洋風の住ま いが普及し、和室のない家が増え、床の間のある家の方が珍しいほどになって いる。また、かつての住宅は農家でも町屋でも、生業と結びついた職住一致の ものが多かったが、現在は職住分離の方が主流になっている。

(第二次世界大戦後、在住宅難當中公団住宅等、大量供給型的住宅被建造
起居室廚房等被重新設計推展
以前沒有地板的家幾乎是很難想像、今日洋風住宅
普及、沒有和室的家増多、變成似乎有地板的家比較稀奇。
還有以前的住宅是農家和町屋等、生活職業連結的職住一致
的人居多、現在是職住分離變成是主流了。)

住宅種類
• 日本の住宅の種類には一戸建て、集合住宅(マンション、アパート、団地、 公団住宅)、長屋、文化住宅などがある。

( 住宅種類
日本住宅的種類分為一戸建、集合住宅(mansion 、apartment、団地、)
公団住宅)、長屋、文化住宅等。)

Posted by nozi1ro at 樂多Roodo! │12:16 │回應(0)引用(0)日本概略
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