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January 20,2008

付出(未完)

我這幾個月來 對勞動相關的文章有興趣
先跟大家分享如下文章
等我有空再討論
不好意思

モラルハザードの構造
摘自:http://blog.tatsuru.com/2008/01/19_0927.php

興味深い記事を見た。
NHK記者ら三人がインサイダー情報による株取引容疑で取り調べを受けているという話である。
この三人は報道局のテレビニュース制作部記者、岐阜放送局の記者、水戸放送局のディレクター。三人の間に連絡を取り合った形跡はない。
それはつまりこのインサイダー取引が「自然発生的・同時多発的」にNHK内で行われたということである。
ということは、「このようなこと」が当該組織内ではごく日常的に行われていた蓋然性が高い。
不正利用されたのはある牛丼チェーンが回転ずしチェーンを合併するというもの。
3人はニュースの放送前にこれを知り、うち2人は「放送までの22分の間に専用端末で原稿を読み」回転ずしチェーンの株を購入。株価は一日で1720円から1774円に上がり、3人は翌日売り抜けて10-40万円の利益を得ていた。
この金額の「少なさ」が私にはこの不祥事の「日常性」をむしろ雄弁に物語っているように思われた。
もし、このインサイダー取引で1億とか2億とか儲けたという話なら、一サラリーマンが千載一遇の機会に遭遇して、ふと魔が差して、してはならないことに手を染めた・・・という解釈も成り立つが、NHKの職員がまさか10万やそこらで「人生を棒に振る」ようなリスクは犯すまい。
ということは、彼らにとってこれはごく日常的な「小遣い稼ぎ」であって、リスクを冒しているという感覚が欠如していたということを意味している。
ニュース原稿は放送前に約5000人のNHK職員が閲覧するそうである。
近年のNHKの不祥事の質を徴する限り、「こういうこと」をしているのが5000人のうちの3人だけであり、かつ今回だけであると信じる人はたぶん日本国民のうちに一人もいないだろう。
私はとくにNHK職員のモラルが世間一般のそれより低いとは考えていない。
たぶん彼らの非常識と非倫理性は「世間並み」であろうと思う。
だから、この事件は現代日本社会に瀰漫しているモラルハザードの構造を理解する格好の手がかりになるはずである。
この3人は取り調べを受けたときに、「え?どうして、こんなことで事情聴取されなきゃいけないの・・・」と不満顔をしただろうと思う。
いったい自分たちはどんな悪事をはたらいたというのか、彼らにはぴんと来なかったからである。
企業活動の変化を市場に先んじて察知した投資家が短期間に莫大な利益を得るというのは合法的な経済活動である。「どうやって知ったか」というようなことは副次的なことではないか、と。
彼らはそう考えたはずである。
だいたいインサイダーというのは、「インサイドにいることでアウトサイドの人間には手が出せない種類の利益を得ることのできる人間」という意味じゃないの?と。
たぶんそうだと思う。
私が興味をもつのは、この「インサイダーはアウトサイダーとの情報差を利用して金儲けをしてはいけない」という「常識」がたぶん彼らにはまるで身体化されていなかったということである。
彼らは「フェア」ということの意味を根本的に誤解しているのだと思う。
おそらく、彼らは子どもの頃から一生懸命勉強して、よい学校を出て、むずかしい入社試験を受けてNHKに採用された。
その過程で彼らは自分たちは「人に倍する努力」をしてきたと考えた。
だから、当然その努力に対して「人に倍する報酬」が保障されて然るべきだと考える。
合理的だ。
だが、「努力と成果は相関すべきである」というこの「合理的な」考え方がモラルハザードの根本原因であるという事実について私たちはもう少し警戒心を持った方がよいのではないか。
前にも書いたことだけれど、当代の「格差社会論」の基調は「努力に見合う成果」を要求するものである。
これは一見すると合理的な主張である。
けれども、「自分の努力と能力にふさわしい報酬を遅滞なく獲得すること」が100%正義であると主張する人々は、それと同時に「自分よりも努力もしていないし能力も劣る人間は、その怠慢と無能力にふさわしい社会的低位に格付けされるべきである」ということにも同意署名している。
おそらく、彼らは「勝ったものが獲得し、負けたものが失う」ことが「フェアネス」だと思っているのだろう。
しかし、それはあまりにも幼く視野狭窄的な考え方である。
人間社会というのは実際には「そういうふう」にはできていないからである。
何度も申し上げていることであるが、集団は「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援し扶助することで成立している。
これを「ノブレス・オブリージュ」などと言ってしまうと話が簡単になってしまうが、もっと複雑なのである。
「オーバーアチーブする人間」が「アンダーアチーブする人間」を支援するのは、慈善が強者・富者の義務だからではない。
それが「自分自身」だからである。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」というのは『マタイ伝』22章39節の有名な聖句である。
それは「あなたの隣人」は「あなた自身」だからである。
私たちは誰であれかつて幼児であり、いずれ老人となる。いつかは病を患い、傷つき、高い確率で身体や精神に障害を負う。
そのような状態の人間は「アンダーアチーブする人間」であるから、それにふさわしい社会的低位に格付けされねばならず、彼らがかりにその努力や能力にふさわしからぬ過剰な資源配分を受けていたら、それを剥奪して、オーバーアチーブしている人間に傾斜配分すべきであり、それこそが「フェアネス」だという考え方をするということは、自分がアンダーアチーブメントの状態になる可能性を(つまり自分がかつて他者の支援なしには栄養をとることもできなかった幼児であった事実を、いずれ他者の介護なしには身動きもできなくなる老人になる可能性を)「勘定に入れ忘れている」からできるのである。
モラルハザードというのは「マルチ商法」に似ている。
自分はつねに「騙す側の人間」であり、決して「騙される側の人間」にはならないという前提に立てば、マルチ商法は合理的である。
騙される側の人間が無限に存在するという前提に立てばこの推論は正しい。
しかし、残念ながら、地球上に人間は無限にはいない。
どこかで地球上の全員が「騙す側の人間」になるというのがマルチ商法が禁忌とされる本来の理由である。
今回のようなモラルハザードは「ルールを愚直に守る人間たちが多数派である場所では、ルールを破る少数派は利益を得ることができる」という経験知に基づいている。
だから、ルール違反をした本人は彼以外の人々はできれば全員が「ルールを遵守すること」を望んでいる。
そうであればあるほど利益が大きいからである。
高速道路で渋滞しているときに、ルール違反をして路肩を走っているドライバーは「自分のようにふるまうドライバー」ができるだけいないことを切望する。
それと同じことである。
しかし、この事実こそがモラルハザードの存在論的陥穽なのである。
「自分のような人間」がこの世に存在しないことから利益を得ている人は、いずれ「自分のような人間」がこの世からひとりもいなくなることを願うようになるからである。
その願いはやがて「彼自身の消滅を求める呪い」となって彼自身に返ってくるであろう。
何度も申し上げていることであるが、もう一度言う。
道徳律というのはわかりやすいものである。
それは世の中が「自分のような人間」ばかりであっても、愉快に暮らしていけるような人間になるということに尽くされる。
それが自分に祝福を贈るということである。
世の中が「自分のような人間」ばかりであったらたいへん住みにくくなるというタイプの人間は自分自身に呪いをかけているのである。
この世にはさまざまな種類の呪いがあるけれど、自分で自分にかけた呪いは誰にも解除することができない。
そのことを私たちは忘れがちなので、ここに大書するのである。


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研究題目和心理創傷(未完)

我還在寫期末報告
先寫完報告在寫對如下文章的感想
看這篇文章後覺得
我的病情很嚴重orz

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摘自:http://blog.tatsuru.com/2008/01/17_0935.php

「ふつう」のススメ
卒論を四年生たちは全員無事にご提出されたようである。
めでたし、めでたし。
最後のゼミで、ひとりひとりから卒論の自己採点をうかがいながら、私の感想を申し述べる。
読んでわかったことがある。
それは、学生諸君は卒論において個人的に切迫した問題に迂回的に触れている、ということである。
なもん当たり前じゃないかと言うなかれ。
そうでもないよ。
というのは、ご本人にとって切迫した問題に触れているなら、どうしてその卒論主題を選んだかをすらすらと言えるはずである。
それが意外なことに、それを自分では言えないのである。
それが「自分にとって切迫した問題である」ということをご本人が意識していないのである。
そういうものを何と呼ぶのか、みなさんにはもうおわかりであろう。
そう、「トラウマ」である。
抑圧された心的過程は症状として顕在化する。
卒論はその意味で学生諸君の「症状」なのである。
聞いてびっくりですね。
とはいえ、病態にはかなり個人差がある。
「なるほど、私が心にかかっていたのは『このこと』だったのか」ということを卒論を書いている過程で意識化できた学生がおり、結局自分が何を書いているのかわからなかった学生もいる。
そして、この意識化の程度は、論文の「論理性」とほぼ相関している。
その論題を選んだ「ほんとう理由」を意識化すことに強い抵抗が働いている場合は、彼女たちの筆が問題の本質に近づくたびに、議論は必ずあらぬ方向に逸脱する。
だから、論述はひたすら水平的に拡散し、しばしば「トリビア的知識」が漫然と羅列されたり、支離滅裂な展開になったりする。
しかし、自分でうまく処理することのできないトラウマ的問題に取り組んでいる勇気を私は論理性と同じくらいに高く評価する。
卒業に際しての「むまのはなむけ」として、トラウマ的主題へのアプローチの仕方についてひとことアドバイスを差し上げたいと思う。
総じて、彼女たちにとっての「トラウマ的主題」は自分の存在根拠にかかわっている。
当たり前と言えば当たり前である。
平たく言えば、「ほんとうの私」と「みんなが見ている私」のあいだの「ずれ」、自己評価と外部評価の齟齬に彼女たちは苦しんでいる。
もっと若いときであれば、「みんなが見ている私」の欺瞞性や演技性をカミングアウトして、「『ほんとうの私』を知って!」というような定型的な書き物になるのであろう。
だが、さすがに大学卒業時となってくると、そんな「中学生ドラマ」みたいな台詞は恥ずかしくて口にはできない。
「『ほんとうの私』を知って!」という語法そのものがあまりに定型的で手垢のついたものあることがわかってきたせいで、「定型的な言葉づかいでしか記述できない『ほんとうの私』って・・・・ほんとうに『ほんとう』なんだろうか」という疑念が兆すのである。
それよりはむしろ「みんなが見ている私」「演技している私」の方がはるかに「個性的な人間」だということがだんだんとわかってくる。
「あなたって変わってるわね」とよく言われる。
本人的には「ふつうの人」に見られるように、必死に「演技」をしているはずなのであるが、周りの人はなかなか「ふつうの人」に見てくれない。
ということは、ご本人が「ふつう」と思っている標準値の取り方が「『ふつう』じゃない」ということである。
意外なことに、個性というのは「私ってこんなところが変わってるでしょ?」というかたちでは決して表現されず、「これが『ふつう』よね?みんな、そうよね?」という無反省的な確信を通じて露呈するのである。
そのこと二十歳くらいで気がつく。
そこではじめて「みんなが見ている『ふつうのふりをしている私』」とはどういうものであるか?」というかたちの自己点検が始まる。
卒業論文はその仕上げのためのものである。
卒業論文というはフォーマットが厳密に決まっている。
どうしてフォーマットが厳密に決まっているかというと、そういう外形的なしばりをかけた方が個性が露呈しやすいからである。
「自由に書いていいよ」というようなことを言ったら、学生たちはそれぞれの「個性ゆたかな」ものを書いてくるであろうが、それはしばしば死ぬほど退屈なものになるリスクがある。
卒業論文は学術論文であるから、多くの人から(少なくとも指導教員からは)「たしかにこれはだいじな問題だよね」という同意が取り付けられる見通しがないと書き始められない。
そして、「この問題にはみんなも関心を持っているに違いない」という「ふつうの選択」において個性は際だつのである。
というわけであるから、これから卒業する諸君に申し上げたいのは、「心おきなく『ふつう』にしていなさい」ということである。
諸君にとっての「ふつう」は諸君のいちばんすなおな演技であり、けれんのない作品である。
「ふつう」を通じて諸君の「唯一無二性」はもっとも鮮やかにその輪郭を表すであろう。
グッドラック。


Posted by liulanggou1 at 13:52回應(0)引用(0)好文介紹

January 19,2008

愛女人也愛男人

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我讀中文書的速度超級慢
(英文論文就不用說)

這本書介紹超過七十位雙性戀者訴說的他們的故事
每一個人的故事讓我反省自己對他人的狹窄的看法
反省自己不願摘下有顏色的眼鏡看待他人

在這本書出現的每一個人都不是 很遙遠的 跟自己生活無關的他者
類似他們的人很有可能在我們身邊 甚至是我們也是

雙性戀者Lisa Yost寫道:
當我瞭解到男人和女人對我同樣有吸引力,這個世界變的加倍寬廣了。這是一個很大很大的世界,充滿了有趣和有魅力的人們。(第126頁)

我喜歡Lisa的這一句。


<參考>

《另一個衣櫃:雙性戀者的生命故事與認同》
Bi any other name:bisexual people speak out

作者:Loraine Hutchins ,Lani Kaahumanu
出版社:商周出版
出版日期:2007年06月08日

http://www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010368952

Posted by liulanggou1 at 13:52回應(1)引用(0)書籍

January 18,2008

《出櫃停看聽:同志子女必讀寶典》

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我覺得 這本書
非同性戀者也值得閱讀
這本書告訴我們
父母面對自己兒女很陌生的部分時可能會有什麼樣的反應
以及教我們如何與父母建立信賴關係...等等

如果因為妳/你認為這本書跟異性戀的自己無關 而不翻這本書
我覺得 蠻可惜

圖片來源:http://www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010388093

Posted by liulanggou1 at 10:56回應(1)引用(0)性別

January 17,2008

天橋下【淡水】



晚上在這個天橋下常看到有人賣衣服、手機套、手套或襪子等
今天第一次目睹了白天在那裡賣菜的歐巴桑

天橋下似乎是很不錯的販賣空間

Posted by liulanggou1 at 23:52回應(2)引用(0)【台北】公共空間

January 16,2008

寒冷的夜晚【淡水】

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我每次看到這個攤子 都是特別寒冷的夜晚
我不知道 老闆是不是特別選寒冷的晚上來天橋擺攤?
還是她每天按照她的計畫輪流到不同地點擺攤嗎?

天橋上特別冷 如果沒有她的攤子
我就縮小身體趕緊離開天橋
但看到她攤子 就會想停下腳步 (至少放慢速度)

因為有她的攤子
那個天橋又多了一個表情






Posted by liulanggou1 at 22:27回應(0)引用(0)【台北】公共空間

別墅和女人



最近我拜訪了一對夫妻,他們住在北部某個鄉村。

由於先生工作的關係,他們離開居住三十幾年的社區,搬到他們兒子居住的公寓。他們的房子位於馬路邊,經過那裡的車子沒有很多,所以每一台車子開得非常快,雖然路不寬,但晚上過馬路時還是得很小心。

我知道他們以前居住的地方生活很方便,生活上需要的東西,都在走路可到達的範圍內能取得,現在他們居住的地方,他們的房子很漂亮,風景也很不錯,不過附近沒有商店街,公車也一天只有幾班而已,我想對太太來說,可能生活沒有以前那麼方便。我問太太附近有沒有菜市場,她說這裡沒有,買菜一定要開車或騎車去。

她說住這裡有很不錯的地方也有不方便,她提及她先生喜歡自然,她兒子喜歡開車,他需要停車位。
我心裡想,她先生和她兒子對房子的期待被滿足了,她也覺得這樣很好,但她買菜變得不方便了,以前的鄰里關係也切斷了...不知道在決定在哪裡買新房子的過程中,太太的需求多少被考慮...。

另外,有一次我跟某位媽媽聊天,她的朋友從台北市中心搬到台北縣某個高級別墅區,她搬家之後整天都在豪宅裡,照顧自己的孫子,後來她得了憂鬱症,這時候再這麼有錢也沒有用,不到一年又搬回到原來的社區。

我好像可以想像她為什麼得了憂鬱症。原來她在社區裡有朋友,即使在家發生讓她不高興的事情,她走出門口跟鄰居朋友聊天,去熟悉的市場買菜跟老闆講幾句話,她就可以換換心情。可是搬到新的社區,周圍都是陌生人,從被隔離的豪宅區到附近的市場或超市也沒有以前那麼近、那麼方便,要跟朋友見面散散心,也得事先約好才能見面,還有孫子得照顧,留下孫子出門會有罪惡感...。在這樣的狀況之下,住在豪宅對她似乎沒有幫助。不過我還是覺得她的家人對她很好,他們願意為她搬回原來的社區。如果家人堅持要繼續對外炫燿自己有錢有地位,不願般回去,那她就完蛋了。

我沒有買過房子,所以不知道買房子的決策過程,不過聽有些例子時會想,好像在買房子的決策過程中,女性的需求往往被忽視,連女性自己也忽視自己的需求,願意相信媒體宣傳的價值觀。

如果大部分的家庭女性待在家裡的時間比男性久,女性跟家空間的互動比較多的話,女性對家空間的需求應該被更加重視。


Posted by liulanggou1 at 21:58回應(3)引用(0)【台北】家空間

January 15,2008

午睡【家】

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白天家裡只有TORA跟我的時候
牠基本上都在睡覺
牠上午到客廳 先推開椅子上的布偶狗狗後 上去睡覺
下午回到我房間睡在我床上
傍晚大家回來 TORA開始high起來
牠可能覺得「我的玩伴回來了!」吧 ...繼續閱讀

Posted by liulanggou1 at 14:27回應(2)引用(0)【台北】家空間

January 14,2008

幸福的生活【捷運台北車站】

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第一次看這則廣告應該是一年多前在捷運忠孝復興站
每次看它 會有說不出來的怪怪的感覺
後來那個廣告消失了
但去年十二月初又在捷運台北車站看到了
我怕它又消失不見 於是趕緊把它拍下來 並把它貼在自己新聞台上
但還是一樣寫不出我對它的怪怪的感覺... ...繼續閱讀

Posted by liulanggou1 at 15:10回應(6)引用(0)【台北】公共空間
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