May 7,2007
これまでの状況を背景説明も含めてまとめたものです
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台湾ハンセン病回復者の人権と楽生院取り壊し反対運動
植民地時代に「台湾総督府癩療養所楽生院」として開設された楽生院は、台湾唯一のハンセン病療養所であり、今なお三百名ほどのハンセン病回復者がここに生活している。台湾におけるハンセン病隔離政策の起源は日本の植民地支配にある。日本におけるハンセン病絶対隔離政策は、日清・日露戦争を経て帝国主義国家としての道を本格的に歩み始めた日本が、「一等国」としての体面を保つため、ハンセン病者の存在を抹殺しようとして遂行された、世界にも例を見ない非人道的なものである。後の十五年戦争期には、優勢思想に基づいた「民族浄化政策」として、ハンセン病の「根絶」を名目としつつ、その患者の「絶滅」を目指す政策として徹底されていった。しかも、戦後も長い間この政策に対する反省はなく、1996年まで患者の強制隔離を規定する法律が存続し続けたのである。
ハンセン病はそもそも伝染力のきわめて弱い病気であり、治療上隔離の必要は全くない。しかし、政府は隔離政策を推進するためにハンセン病が恐ろしい伝染病であると宣伝し、「無癩県運動」を通じて相互監視体制を作り上げ、患者のあぶり出し・強制収容を行った。また、「絶滅」を前提とされ「死ぬこと期待された」入所患者たちには有効な治療が施されなかったばかりか、強制労働や断種・堕胎の強制が行われた。
植民地・占領地においても、1916年に朝鮮総督府によって設立された「小鹿島病院(のちの小鹿島更生園、現在の韓国国立ソロクト病院)を皮切りとして、1930年の台湾楽生院、1939年には「満洲同康院」が設立された。また、南洋群島の療養所では太平洋戦争期に入所者の虐殺さえあった。台湾における植民地支配下でのハンセン病隔離政策は、強制収容によって取り返しのつかない人権被害をもたらしたばかりか、ハンセン病に対する偏見と差別を作り出した。
戦後、国民政府も植民地時代の政策をそのまま引き継ぐ形で、集団収容等の政策を続け、台湾全島ばかりか中国大陸から渡来した将兵のハンセン病者も含め強制的に隔離したのだった。こうした歴史的経緯から台湾社会には現在でもハンセン病に対する偏見と差別が根強い。1962年まで行政命令によって強制隔離が続けられたが、その後も隔離を主軸をする誤ったハンセン病政策が続けられ、今日に至っている。回復者の社会復帰に対する支援や社会的偏見を除去するための施策は一切なされていないため、ハンセン病者・回復者の多くは、生まれ故郷に帰ることができずにいる。そのため入所者たちの多くは、現在に至るまで、この楽生院を「第二の故郷」として暮らし続けてきた。
しかし、現在台湾政府は地下鉄建設工事のため、楽生院を取り壊し全入所者を2005年に新しく建設された病院棟に移す計画を進めている。300名余りの入所者の内、寝たきりの者をはじめ、半数余りがすでに新病棟に移転したが、100名弱が療養所内旧地区に留まって抵抗運動を組織しているほか、一時的に園外に生活の拠点を移して病棟への入居を拒否・或いは状況の推移を見守っている者もいる。
この問題の発端は、地下鉄車庫・整備工場の建設用地として療養所の広大な敷地に白羽の矢が立てられたためであるが、この背景にはハンセン病問題に対する無理解と偏見が横たわっている。療養所当局は甘言を呈して新病棟における設備の充実や表面的な待遇の改善を強調し、入所者に移転を強制しようとしてきた。しかし、如何に先進の設備を備えていようと、入所者たちにとって長年住み慣れた「我が家」を奪われることは到底受け容れ難いことである。これはいうなれば「二度目の隔離」にも等しい。
取り壊し計画が持ち上がった十数年前、入所者の間からは立ち退き反対の声を上がったが、政府・療養所当局からはここの「住民」とはみなされず、全く無視されたのだった。二年前の一期工事の開始の際には工事区域に住む入所者たちは、事前の通知もなしに着の身着のままで仮設住宅に強制移転されられた。将来についての不安が療養所全体に広まる中で、この問題の重大さに気付いた学生ボランティアらによって「楽生院取り壊し反対」の運動を始められた。台湾社会におけるハンセン病問題への認識不足もあって、当初は楽生院の文化財としての保存を訴えるという戦略が採られた。多くの専門家・知識人がこの趣旨に賛同した。幾度にわたる政府への陳情を経て、計画の一部変更を検討させることに成功した。しかし、地下鉄の工期の遅れは地元の利権に直結することから、政府は計画変更に難色を示し続け、その間も地下鉄と新病棟の建設工事が着々と進められてきた。
その後、入所者自身によって「楽生保留自救会」という抵抗組織が立ち上げられ、居住権の保障を要求する闘いが始められた。
新病棟への医療設備やスタッフの移転により、療養所当局からは半ば「遺棄」された元の楽生院における入所者の生活や安全を守るため、支援者が常駐するようになった。また、入所者の中には植民地時代に収容された「ソロクト・楽生院補償請求訴訟」の原告もいる。自救会はこの訴訟を全面的にサポートする中で、日本の弁護団・支援団体との間に連帯の絆を作り上げてきた。2005年10月の東京地裁において台湾原告勝訴の判決が出され、各メディアが、この判決を大々的に報道する中で、自救会や支援団体は台湾におけるハンセン病問題の現状を直視するよう訴えた。台湾社会の中でハンセン病問題が俄に注目を集め始めた。こうした中、これまでの運動の成果が徐々に実り始めた。
2005年12月、政府は楽生院を「暫定古跡」に指定した。同時に、立法院においては自救会の手によって起草された「台湾ハンセン病回復者人権保障法」の審議が着手された。この法案では、政府による謝罪と名誉回復・国家賠償・療養所で生活する権利の保障・ケアの充実・社会的差別や偏見の除去に向けての努力などを当事者の立場から求めている。しかし、これらの段階的な成果もむなしく、2006年6月には中央政府と地方自治体との間で責任逃れのたらい回しにあって何ら実質的な行政手続の行われないまま、「暫定古跡」は期限切れを迎えた。
その後、楽生の現状保存と地下鉄車庫の両立を可能とする代替建設案が、国の文化管轄省庁(文化建設委員会)の依頼により英国の地下鉄建設コンサルタント会社によって作成され、2月に内閣に送られた。しかし、旧正月の休暇を挟んで、内閣は適切な検討作業を経ずに地方自治体に対し、取り壊しのゴーサインを出したのである。2007年の3月、政府は地下鉄工事を強行するための強制退去の告示を行い、情勢が急展開し始めた。
その後、与党の大統領選候補者選びに出馬を表明している游民進党主席・前行政院長謝長廷氏が楽生院保存への支持を表明し、その後、陳水扁総統がこの問題に強い関心を示すをと共に遺憾の意を表明し、内閣に対して適切な処理を指示した。
結果、首相はこの手続きに一部落ち度があったことを認め、3月末より内閣が両案の再検討の余地がないかについて調査を始めた。しかし、正式に工事の一時中断を指示は出されず、地方自治体も4月16日に予定通り取り壊すという強硬な態度を崩さなかった。
また、こうした政府の態度軟化に対し、地方自治体、また地下鉄開通による開発利権に絡む地元国会議員・地方議会議員らは強く反発し、「地下鉄の早期開通のために楽生院を取り壊せ」というスローガンを打ち立てて、一万人の市民を動員して楽生院を包囲するというデモを行なった。デモの動員にあたっては新荘市長が発起人となり、新荘市役所が積極的に支援した。
このデモによって未だ地元で根強いハンセン病への差別が増長され、入所者たちは「経済発展の邪魔者」という汚名を着せられた。こうした、差別・偏見の助長は到底許されるものではない。また、入所者たちの心にも再び深い傷を残す結果となった。
結局、蘇貞昌首相は、4月11日楽生院入所者代表・専門家・NGO・学生代表らと会見し、9日に行われた公共工程委員会主任委員呉沢成によるヒアリングに基づき、楽生院保存を支持する専門家・学識経験者の意見を聞いた結果、90%保存案が技術的には大きな問題がないという立場を理解し、「地下鉄の工期に影響がない範囲」で「90%保存案の実現に向けて最大限の努力をする」と表明しました。しかし、台北市捷運工程局・台北県政府は未だ積極的な対応を行っていません。
また、昨4月4日には、台湾国会にて「ハンセン病人権保障法案」の与野党協議が行われたが、入所者の在園保障・居住権などを謳ったこの法案に不満を持つ地元新荘市選出の国会議員らは、この協議が行われている会議室に乱入し会議の妨害を行った挙句、協議を中止させるという、民主主義を踏みにじる蛮行に及んだ。
今回は、当面の危機を回避したものの、状況の推移を見守ってゆく必要があることから、4月15日に取り壊し・強制移転反対の大規模デモは予定通り開催された。この間の楽生院支援闘争の盛り上がりは、左右統独の政治的立場の違いを超えて、多くの市民運動団体・環境保護団体・労働組合等の広範な支持を集めている。こうしたことから、政府与党も最大野党も、これまでのようにこの問題を無視し続けることができなくなり、何らかの対応を迫られるに至ったのである。現在、内閣によって工事の計画変更についての協議が行われているが、実際に入所者の希望が叶えられるか否かについては未知数である。
台湾におけるハンセン病問題の全面解決に向けての長い道のりはまだまだこれからであり、今後の動向への注目をお願いしたい。また、日本からも是非楽生院に足を運び、そこで入所者の声に耳を傾けるとともに、より多くの人びとに入所者の声を届けていただきたい。
2007年5月 楽生保留自救会
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