February 3,2010

サヨナラCOLOR

日本人の友達と音楽について話した。彼女はハナレグミ(「離れ組み」という意味かな)の「家族の風景」という歌が大好きで、ハナレグミのシングル『家族の風景』と、ハナレグミのボーカル永積タカシの5人組ファンクバンドであった、解散した「SUPER BUTTER DOG」のアルバム『SUPER BETTER BETTER DOG』(精選集)、またキリンジという兄弟バンドのシングルベストを貸してくださった。(ありがとうございます!みちこさん。)

よく聞きたいだけど、あまり時間がないので(受験生なのに、主婦みたい....@_@)、少しだけ聴いてみていいからと思ったが、メチャクチャおもしろくていい曲ゆえ、ずっと聴き続けていた!「家族の風景」の歌詞は簡単だが、深い哲学が中に入れるのと感じられる。やはり年を取ればほど、より平凡な生活はもっと幸せになると思って、「家族の風景」がもっと好きになってきた。

さらに気になるのは「サヨナラCOLOR」という歌だ。歌詞も難しくないのに、とても人に感動させた。離れた恋人に言ってあげることというよりも、自分を慰めるように、本当に離れがたいように気を晴らすような感じを与えた。YouTubeで調べると、このライブ版は夢中にさせていた。忌野清志郎のハーモニカと合唱は最高だった!

とはいえ、最初、永積タカシのお顔を見ると、ちょっとお宅っぽいじゃないのかと思ったんだが、やはり外見で人を判断してはいけないね。なかなかの人物だね。スゲェ!

ところで、興味深いのはまたある。それはまだ変っている日本語の文字遣いだ。「サヨナラ」とは「さよなら」で、「COLOR」とは「から」だよね。離れると耐えない悲しいことがくるが、人生はカラーになるかもしれないね。いいんじゃないのか。

ちなみに、『家族の風景』と『SUPER BETTER BETTER DOG』の中の歌も聴けば聞くほどおもしろいよ。さて、「サヨナラ
COLOR」を聴いてみよう。
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Posted by bichhin at 樂多Roodo!14:53回應(1)引用(0)歌を歌いたい

February 1,2010

怖い顔…

これは私のスピーチした後の感想です。スピーチの原稿はこっち
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学生数が多すぎるので、最後の日本語授業のスピーチ大会は二回に分けて行われ、私は29日に発表した。台湾人と中国人との違いについても話した。予想したとおり、その場にいる中国人たちはすごく怒り、私がまた発表中なのに、彼らは怖い顔や信じられないといった表情で私語をした。発表が終わると、彼らは我先に手を挙げて発言した。とにかく、「中国人ではなく、台湾人です。」という発言が、中国人を大変怒らせた。

その日は、4、5人ぐらい中国人に加え、10人ぐらいの日本人ボランティアと、10人以上のヨーロッパの人やほかのアジアの国の留学生がいた。私のスピーチは実はほかの国の方々のために準備したのだったが、参加者に中国人もいたので、緊張感がみなぎっていた。だが、逆に考えれば、ちょうど対話できるようないい機会だと思っていた。(今から考えれば、当然のことながら、ちょっと甘すぎた!)

実は皆の質問をあまり詳しく覚えていないが、中国人の質問について少し記録しておく。「人間としての立場から言ったら、台湾語は福建(閩南)語からではないのか?なぜ『台湾語』と表現したのか?」(この質問の「人間との関係」はちょっと意味が分からないけど…)それから、「台湾人の祖先はやはり中国人ではないのか?長い時間中国と一緒、文化も歴史も同じだし、だから中国人だろう!」(ほかの人から「違う、違う」という声が出てきた…)また、「今台湾人は日本と中国、どちらが親しいのか。」…私はこれらの質問について、多かれ少なかれ勘違いしているかもしれないが、要は、質問をいっぱい受けた。
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January 21,2010

日本、台湾、私の夢

明日の口頭表現の授業のスピーチ大会の原稿ですが、三分間で話しきれないでしょう。にもかかわらず、頑張りたいと思います。また、多田さんのアドバイス:「違う民族が同じ言語を使っているけど、違う国、という例を示すともっと良いのではないか。ブラジル、メキシコ、ペルー、アルゼンチン、アルジェリア、アイルランド、南アフリカ、フィリピン、シンガポール、香港。」--そうですね。明日、違う国のクラスメートを除き、15人ぐらい日本人のボランティアがいますので、質問するかもしれません。細かいところを注意しなければなりませんね。スピーチの感想はこっち
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皆さん、こんにちは。台湾から参りました。リービーチンと申します。どうぞよろしくお願いいたます。

皆さんは多分、私が中国語が話せるため、中国人だと思っているかもしれません。実は台湾人です。アメリカ人も英語で喋っていますが、イギリス人ではなく、アメリカ人ですね。台湾人も中国語が話せますが、中国人ではなく、台湾人です。60年前の台湾人は日本語や台湾語で喋っていて、中国語が話せる人は殆んどいませんでした。戦後になってから、政府が変わったため、今の台湾では、半分以上の若者は中国語で喋っています。なぜ戦前でも戦後でも、こういうような言語の状況があったのか、といいますと、それは「国語政策」のために、皆が自分の母語がどんどん話せなくなっているのだと考えられます。今日は、台湾の歴史ではなく、日本と台湾の関係、そして私の夢について話したいと思っています。

皆さんは多分、「日本、台湾、私の夢」って、何の関係があるのか、と思っていると思いますが、あとで説明させていただきます。

皆さんもうご存知だと思いますが、台湾の歴史は植民地の歴史ともいえます。私の専門は日本統治時代の台湾文学ですが、「国語政策」が推進されたため、台湾人は自分の言語で自分の文学がかけないようになってしまって、統治者の言語で書かれた文学が多いです。これは、植民地文学の一つの特徴です。いまの台湾語も、ほかの台湾の各民族の言語も、書き言葉の標準化がうまくいかない状況にあります。この百年の間に、台湾人は自分の言語を構築するため、いろんなことを頑張ってきました。特に、日本時代における台湾人は、日本内地を通じてさまざまな知識を吸収して、台湾の言語や文化を築き上げるために多くのやりかたを試みてきました。ですから、私は日本時代に台湾人が頑張った足跡を探して掘り下げ、そして、いまの台湾の言語や文化が直面している苦境にどのように取り組むべきかについて、参考になることを提供したいと考えて、日本に参りました。
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Posted by bichhin at 樂多Roodo!20:15回應(0)引用(0)遥かな故郷

January 17,2010

バランスが取れないのか

懇親会(2010/01/14)で一晩中涙が止められずに出てしまった。初めて「あんたの論文はつまらないと思う」、「台湾のことを捨てて欲しい」、「学術と運動を区別して欲しい」と言われ、すごくプライドを持っている私は全然納得できず、涙が出ながら、尊敬している先生に「私の研究は台湾でとても珍しいものであって、補充の論文もアメリカまでもフィールドワークをしに行って、多くの時間をかかった、表わした成果だと思って、それはつまらないものですか。」と言って、また「先生にとって研究の目的とは何ですか。」と聞いたが、返事をもらってなかったが、すごく丁寧に多くのことを教えてくださった。「分かります?分かります?」とずっと聞かれて、正直に言えば、ちょっと酔っ払っちゃって、日本語も下手だし、よく分からなくても、「分かりました。続けて頑張りたいと思っています。」としきりにうなずいて答えた。

先生は優しくてまじめな人だと思うが、本音で教えてくださったのに、なぜ何回も悪気なく他人に傷つかられたのか、と思ってしまった。恨みや憎みがないが、ただ、ものすごく気落ちした。
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Posted by bichhin at 樂多Roodo!17:33回應(0)引用(0)気を晴らす

January 9,2010

おかしいとは思わない?!

日本に来てから、確かにたくさんのことをおかしいと思った。例えば、なぜ毎日「人身事故」が起っているのか。ホームや車両の中でどこかでまた「人身事故」が起こったというニュースを見るごとに、何となく日本人、或いは東京人は、もうこのようなことはすっかり慣れっこになっているから驚かないのか、もう心にかけなくなったのかと考えてしまった。

また、何人かの日本人の友達は、忙しすぎるとも言えないし、実家も近いし、彼らは家族との関係は悪くないと言ったのに、なぜか家族団欒にふさわしいお正月の時、実家に帰りたくない、という彼らの気持がよく考えても分からない。

それに、電車の中に喋っている人がたくさんいるが、同じように他人に迷惑をかけるのに、なぜ電話をかけることが禁止されるのか、ということに今まで私がまた慣れない。台湾の電車の中で電話をかけることが禁止されていなくても、ほかの人に迷惑にならしないように、みんななるべく音を小さくするからだ。
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Posted by bichhin at 樂多Roodo!00:09回應(0)引用(0)気を晴らす

December 19,2009

クリスマス

神様、キリスト教、クリスマスの過ごしかたなどを、今の私はまだ探している。

大学前の私は、家族と同じようなとても敬虔ないわゆる「一貫道」の信者であった。一貫道の信者というより、神様、仏、霊魂を信じるということだった。大学生になってから、西洋の哲学、東洋の仏教、道教についての授業を受け、生と死のことを更に深く考えてきた。しかしながら、かつてその中に迷っていた、前世や来世があるかどうかなどの考えをしばらく諦めた。いつとはなくキリスト教の友達がますます増えており、自分自身が信じている事もそれに連れて妙に変わってきた。

とは言え、卒業した大学は台湾で有名なキリスト教の大学だったため、毎年のクリスマスイブには大きなダンスパーティーとか礼拝が行われ、私も皆と一緒にパーティーに参加したり、クリスマスに関することをしたりしたが、正直に言えば、イエスに感動は、全然感じていなかった。
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December 11,2009

忘れられない2005年の夏

忘れられない事ときたら、悲しい事がやはり口に出せないので、プライドの事を書きました。とは言え、書いた文には悲しい物語も含まれていますね。
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  映画のモーターサイクル・ダイアリーズ(Diarios de motocicleta)の中でチェ・ゲバラ(Che Guevara)の気が狂ったような行為に憧れるが、植民地台湾はいま植民体制に対して所謂民主的な戦い方を選んで、「革命」と言うものもう若者の服に刻まれているロマンチックな流行語や流行の符号になった。と言っても、30才を過ぎてもまた若いと言える私にとって、2005年の夏は本当に忘れられない。その頃、友達と一緒に文学と音楽を以て小さな小さな革命をやった。

  この忘れられない夏の話を言う前、ある平凡に見えるが実はとても偉い人を紹介せずにはいられない。彼は私は一番好きな作家-頼和である。頼和は1894年台湾の彰化で生まれ、その時の国籍は清国だったが、一年後日本籍になった。文学者として尊敬される頼和は医者としても有名で、特に貧乏の人や弱者への配慮が行き届き、彰化の人に「彰化の神様」(彰化媽祖)と称されていた。頼和は昼間はいろんな所へ往診に行き、夜は台湾人の精神的の病を癒すとも言える、大衆に知識と文化を広めるため、新聞の文芸欄を編集し、小説や散文や詩を書き、当時の多くの台湾青年と一緒に台湾文化を構築することに努めていた。政府の不平等ことに抗議したため、二回刑務所に入れられた。ティッシュペーパーに書いた彼の『獄中ノート』は支配される植民地人民のいかんせん重い気持を反映している。1943年、頼和は病気のため亡くなり、「台湾新文学の父」という名を後世に伝えると同時に、「台湾の魯迅」、「詩医」とも称されている。

  戦後になると、とりわけ日本時代の台湾史はタブーになったため、私と同じ世代の人々は高校生や大学生になってやっと頼和と彼の時代のことを知ってきた。大学院に入ってから台湾文化に興味を持っている友達と知り合い、一緒に頼和の有名な小説「一本の秤」(一桿秤仔)と「浪漫外記」(浪漫外紀)や、散文「前進」(前進!)、「獄中ノート」(獄中日記)などの文学作品を歌に改作し、また彼の詩に曲を付け、ほかの友達に聴かせた。ちょうど2005年の春、凡そ7、8曲ができ上がり、「頼和賞」の授賞式でデビューし、居合わせた人たちに驚いて感心され、レコードを作ろうという企画を次々ともらっていた。ところが、当時はまだ大学院生や若い医者の私たちは資金もないし、プロの歌手とも言えず、レコードに吹き込むのはやはり無理だった。だが、音楽を以て台湾文学や台湾意識を広められれば、少なくとも台湾社会を変えられるかもしれないとよく考えて討論し、頼和の小説「鬥鬧熱」(祭りを盛り上げると言う意味である)からのアイディアで「タアゥラアゥリェト バンド」(鬥鬧熱走唱隊)をバンドの名前にして資金カンパを募るために、2005年の夏、台湾各地で小さなコンサートを始めた。


「月光」という歌はこのCDの中、私が一番好きな歌です。
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Posted by bichhin at 樂多Roodo!16:47回應(0)引用(0)歌を歌いたい

December 4,2009

「文字なきラブレター」(無字的情批)という歌

今週の作文ですが、やっぱり台湾語の歌は最高!だが、歌を翻訳する事は本当に難しいですね。もっといい表現があれば、教えてくださいね。(先生は「喜びと悲しみだけなら、まだ単純だと思いますが、人間の感情には更に憎しみ、嫉妬、悔しさ、などあって複雑で、美しいとはいえないように思いませんか。また、言葉で伝えられるのは、心の一部に過ぎないとも思います。」と返事しました。)
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メールと聞いて、「文字なきラブレター」(無字的情批、1999年)という台湾語の歌を思い出した。


婆ちゃんは字が読めないのに、たくさん知識を持ってた。
稲妻は空の鍵であり、鍵であけると雨が降ると言った。
婆ちゃんは字が読めないのに、あるラブレターを持ってた。
何十年経っても開かなかった。字を書くより愛しあえと言った。
(間奏)
愛する彼は別れようとしている。孤独が最もふさわしいと言った。
一文字も残さずに過去を切り離し、それまで尽くしたのにと、一晩中泣いた。
愛する彼は別れようとしている。孤独が最もふさわしいと言った。
永遠の誓いも意義を失い、ラブレターには文字がなく、ひたむきな愛がめくらになった。
婆ちゃんのラブレターに何が書いてあるか聞くと、
恋人が愛そうとしたが勇気がなくて、文字(ラブレター)で恋をでっちあげたのさ、と言う。
(一行目から繰り返す)
恋人が愛そうとしたが勇気がなくて、文字で別れをでっちあげたのさ、と言う。
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Posted by bichhin at 樂多Roodo!21:11回應(0)引用(0)歌を歌いたい